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6014796c anonymous 2025-06-06 15:56
>>5bd71d87

>サイエントロジストの目標は 自由 であり、そこには当然 サイエントロジーからの自由 も含まれる。‍サイエントロジーを実践するならば、サイエントロジーをやめることも考える必要がある。‍

>次の転生で記憶が封印されるのを回避できれば、それが俺にとってのサイエントロジーの最終現象になると思っている。‍さらなる能力の回復はもちろん続いていき、肉体から自由に離れたり、他者の肉体を一時的に乗っ取ることなどもいつかどこかでできるようになるかもしれないが、それは既存のサイエントロジーの知識体系には存在しないだろう。

⇨サイエントロジーを、狭義に教会と定義するならばその通りでしょう。教会には、クリアー以降の完全なる自由へ到達するためのブリッジが存在しないからです。しかし、本質としての純粋な(広義)サイエントロジー(LRHのアドミンなどのアービトラリーの混在した不純物は除く)は、真正OTのノーイングネスの叡智と同義であり、その叡智は我々セイタンを自由にする知識ですから、そこから離れることが自由に向かうとは言えないかと思います。

仮に、教会が現在のRTC下における欠陥ブリッジではなく、真正OTに至る完成されたブリッジと抑圧的でないアドミンが存在し、現教会の反社会性が一掃された場合、真正OTは(健全な)教会を離れるでしょうか。

この場合、ある人は教会を去るかもしれません。そして、ある人はパブリックとして教会のミッション(目的)に関与し、ある人はスタッフ(職員)として関わるかもしれません。それは、それぞれの真正OTたちの自由な選択に委ねられるのであって、現教会(RTC)のように、「準OTは教会に献身し続け離れることはあってはならない」と考えることも、オールド・タイマーさんのように、「準OTは教会(オーグ)を離れなくてはならない」と考えることも、どちらも個人の選択を尊重するのであれば、極端な考え方なのではないかと私は考えます。

単に、離れたい人は離れれば良いし、関わり続けたい人は関わり続ければよいのだと思います。もちろん、私はお勧めはしませんが、現教会に関わり続ける選択も、それがその人自身の選択であり、その選択が他人に著しい有害な影響を与えない限り(家族の生活を犠牲にして、教会に借金してまで献金するなど)、尊重すべきものだと考えています。

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