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anonymous
2026-05-12 13:03
- >イスラム教では棄教が禁じられているので、棄教者の人数を集計する方法がない。
2016年に大阪で会ったスイス人高校生は母親がモロッコ人、父親がスイス人だったが、父親も当人もイスラム教徒ではなかった。イスラム教徒女性は異教徒男性との結婚を禁止されているので、このスイス人高校生の母親は実のところ棄教しているのだが、それを公言などしていない。4400万人にもなると言われるヨーロッパのイスラム教徒には、実質的に棄教している人もかなりいるだろう。
トルコは99%がイスラム教徒だが、今でも世俗主義を維持している。
ヨーロッパはもともと非寛容なアタナシウス派キリスト教に染まったことがある。イスラム教とも上手く折り合いをつけていく可能性もあると思う。
2050年時点のヨーロッパ諸国のイスラム教徒比率の予測はこうなっている。
https://nextbigfuture.s3.amazonaws.com/uploads/2025/08/Screenshot-2025-08-31-at-12.40.42-PM.jpg
そこから先のことはその時になってみないと分からないが、アルバニアでは2011年に人口の80%ほどを占めていたイスラム教徒の比率が2023年に45.9%に低下した。この急激な低下は、ひそかに増えていた実質的な棄教が表面化したからだろう。
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1.イスタンブールが、かつてのコンスタンティノープルに戻ることはない。これ(イスラム化)は、不可逆的な変化である。ビザンツ帝国がオスマン帝国の侵略によってイスラム化される過程で、キリスト教徒に対する大規模なジェノサイドと異教徒に対する徹底的な統制が行われたことは、決して忘れてはならない教訓である。
トルコ共和国はケマル・アタチュルク(彼の功績が無ければ、今日の世界に、トルコは存在していなかっただろう)以来の世俗主義と政教分離(ライフリッキ)を採用しており、イスラム教は国教化されてはいないが、宗務庁がイスラム教を管理し、イスラム教は準国教的な位置付けが為されてきた。
また、エルドアンが実権を握って以降、ケマル共和主義の番人であった司法の独立性は侵害され、宗教政党の活動が合憲化された。そして、ケマル主義に忠誠を誓うはずの国軍も、シビリアンコントロールの名の下に、エルドアンの統制に屈した。その結果、ケマル以来の世俗主義は、急速にイスラム主義に侵されており、このイスラム主義の胎動と台頭は、外形的な世俗主義&政教分離と実質的なイスラム国家の組み合わせというトルコの共和主義の矛盾に起因するもので、時間の問題でしかなかった。
厳格な政教分離(ライシテ)を採用するフランス共和国でさえ、イスラム化が抑えられないのであるから、イスラム教徒がマジョリティー化した社会で、世俗主義と政教分離を維持することが如何に困難かわかるであろう。
一方、イランでは、パフレヴィー朝時代に90%以上あったシーア派イスラム教に対する信仰は、ホメイニ−ハメネイ体制を経て、20%を割っている。特に、若年層の非イスラム化(イスラム嫌悪)が著しい。ハメネイ体制のイランが、若年層の反体制派を躍起になって殺しているのは、これが理由である。ペルシャ民族は、アラブ民族とは別物だ。イランの体制は、反米のシーア派イスラム原理主義であるが、国民の大半は親米の反イスラムである。これは、フセイン統治下のイラクがシーア派イスラム教を徹底的に弾圧した結果、シーア派の信仰が維持され、フセイン政権崩壊後に、民主主義体制の下で、イスラム政党の主導によって、児童婚の容認等のシャリーアへの揺り戻し(フセイン政権時代の世俗主義からの後退とイスラム主義への反動)が起こっているのとは対照的である。イランの自由社会への移行は、イスラム圏における自由社会の初の試みとなるだろう。
インドネシアもトルコ共和国と同様に、建前上は世俗主義と政教分離を採用しているが、政治家はほぼムスリムであり、宗教省は他宗教や民族信仰が衰退するような決定を行い、常にイスラム教が優先される。多様性と言いながら、実際は違う。寛容性を武器に、非イスラム文化を破壊している。また、1990年代と比較して、女性のヒジャブやニカブの着用率が増加し、明らかに戒律の適用が厳格化してきている。
イスラム圏の国々の中で、「不完全な民主主義」と分類される国は僅か三ヶ国(マレーシア:7.29、インドネシア:6.53、アルバニア:6.28)だけであり、「完全な民主主義」と看做される国は一つもない。現在のエルドアン下のトルコは、4.33の混合政体に分類され、キリスト教徒に対するジェノサイドが進行しているナイジェリア(4.23)並である。その他大半のイスラム圏の国々が、権威主義体制に分類される。
かつて欧州は、レコンキスタに約800年を要した。しかし、Woke化した欧州は、800年に及ぶレコンキスタの多大な犠牲の上に築かれた自由の成果を、わずか20年で再び失おうとしている。
リチャード・ドーキンスは、『神は妄想である』(聖書とコーランをともに批判)を著したラディカルな無神論者であり、欧米のリベラル論客の代表的人物であるが、近年の欧州のイスラム化に関しては徹底的に保守的な立場であり、イスラム教受容のWokeリベラリズムの動きに対して、キリスト教文化を堅持すべきと主張している。
一夫多妻制、近親相姦、児童婚、家父長制と男尊女卑、非イスラム教徒の弾圧、鞭打ちや石打ち刑などの残虐な刑罰を含む、中世の暗黒時代を継承したシャリーア(イスラム法)は、西側の自由社会と相容れないのは当然である。根本的かつ深刻な問題は、イスラム教自体が、クルアーン主義等の超マイノリティーを除き、シャリーアと分離不可能なことである。
東欧の文化は、無神論の共産主義では消え去らなかったが、イスラム教のシャリーア統治では、欧州の文化は言語を含めて維持することは困難であろう。
2.SNSの浸透(普及)によって、イスラム法学者(ウラマー)たちの権威が揺らいでいるとはいえ、現時点では、イスラム圏において、大規模なイスラム教の信仰に対する離反や他宗教への改宗、或いは、無神論への傾倒は生じていない。一部の棄教の動きは、好ましい変化であるとはいえ、希望的観測で楽観視するに足る材料であるとは全く言えない。特に、(現在のイスラム革命体制下のイランのように、)いったんシャリーアが導入されてしまった後での棄教のリスクは図り知れない。棄教はアッラーへの反逆であり、反体制は即ちアッラーへの反逆を意味するからである。
イスラム化の最大の問題は、いったんイスラム教が社会全体に根付いてしまうと、棄教の公言すら不可能になるほど、徹底的な同調圧力と社会統制(宗教警察による摘発を含む)が常態化されるということである。イスラム教の拡大の歴史は、対話に基づく布教ではなく、常に、暴力と圧政に基づく強制であった。
結局のところ、イスラム教とは、イスラム主義という人間の内面と公私の生活を支配するイデオロギーであり、かつての共産主義国家と同様に、暴力(テロル)と強制的な支配がパッケージとして組み込まれている。そして、イスラム化の過程では、必ず、異論や抵抗を封じ込めるために、文化的・人種的・宗教的なジェノサイドと暴力による支配と統制が生じる。シャリーアの公的導入は、その統制主義の最終段階でしかない。
そして、イスラム教に侵略されたかつての中東がそうであったように、欧州における言語や宗教を含む文化的多様性は消失するであろう。さらに見過ごせない変化は、人口置換による人種的ジェノサイドであり、イスラム以前のビザンツ帝国と同様に、白色人種の個体数は激減することになるだろう。
混血の問題も深刻である。特定の人種・民族集団の遺伝的特質の保護を遺伝子多様性の前提とするか、単に遺伝子の個体数としての遺伝子多様性を前提とするかで、多様性の帰結が全く変わってしまう。
混血でも言語の混合でも、「ハイブリッド種/型が増えた=多様性が増した」という帰結は、まやかしでしかない。それは、もともとのオリジナルの系統の特質が希薄化されて、淘汰されるか、ハイブリッド種・型に分岐したということに過ぎない。
混血の進行の結果、ハイブリッド種の増殖によって、見掛け上の遺伝的多様性は生まれるが、元のオリジナルの遺伝系統の特性が希薄化してしまう(淘汰・事実上の種の絶滅)移民による文化的オリジナリティの希薄化も全く同じであり、何を持って多様性と定義するかという問題に直面する。
私はサイエントロジストであり、異人種間の混血は、GEの系統を混合させる(迷子にさせる)が故に反対である。混血問題を扱うと、排外主義やヘイトといったイデオロギー上のバイアスが掛かるので、少数言語の問題のほうが理解し易く、共感も得られ易いだろう。言語の多様性を語る場合、少数言語のオリジナリティの保護を前提としない、言語の総数のみによる多様性認定は無意味だということが分かるであろう。
3.一神教は多神教が起源である。かつての多神教の最高神(ヤハウェやアッラー)が、唯一至高神として再定義され、他の神々が排除された結果、一神教が誕生した。イスラム教は、一神教の極地であるが、そのイスラム教でさえ、イスラム以前の偶像崇拝物であったメッカの黒岩を偶像崇拝対象としている(つまり、本質的に唯物論である)。
欧州も、南北アメリカ大陸も、中東も、かつては多神教の土地であった。古代欧州(エウローペー)は、中東発症の男系の外在神(宇宙神)の宗教=キリスト教に支配される以前は、大地の女神たち(多神教)を信仰していた。欧州土着の麗しい大地の女神たちが、中東発症の男系の粗暴な外在神に入れ替わったのは、母系社会から男系社会への変化が起因している。キリスト教以前の欧州には、土着の女神信仰、古代グノーシス、プラトニズム、ヘルメス思想など、人類の叡智の豊穣の地であり、その影響は地中海を通して、アレクサンドリア等の中東地域にも及んだ。実際に、古代欧州人は、最も高い知性と文明を有していた。古代欧州の叡智の多くは、キリスト教の普及によって、古代欧州の叡智の伝達を担った教師や学校とともに抹殺され、また消滅した。
サイエントロジーは、古代の宗教やスピリチュアリズムの単なる復元ではない。サイエントロジーの目的は、単に古代の叡智を復元するのみならず、古代の叡智と歴史を復元した上で、ノーイングネスとオブノーシスに基づく普遍の真理を提示し、さらに、その知識の全てを保持するための方法を提示することにあった。
サイエントロジーは、一神教の土壌よりも、多神教や哲学的無神論或いは懐疑主義の土壌で繁栄するだろう。イスラム教に対抗するためには、キリスト教文化を擁護せねばならないが、長期的には、イスラム教とともに、その基盤であるユダヤ教とキリスト教の一神教イデオロギーを溶解させなければならない。
古代ギリシャの「不動の第一原因」、ゴータマ・シッダールタの「涅槃」、老子(道教)の「太極」、サイエントロジーの「スタティック(虚無)」は、全て同一の概念である。これこそが、唯一至高神を必要としない真の非唯物論たる宗教である。
ヒンドゥー教の聖典の一つである『ヨーガ・ヴァーシシュタ ー至高の真我』は、神や佛が帰依者たる人間に語るという宗教聖典のステレオタイプの設定をひっくり返し、覚者が神(ラーマ)に対して説法する。LRHは、サイエントロジー教会を欧米のプロテスタント教会に模して、奥義のOTマテリアルを除き、キリスト教との融和路線をアピールしたが、キリスト教に対抗するには、キリスト教との対決姿勢は避けて通れぬ道であり、本来はこのヒンドゥー教の聖典くらいのドラスティックなパラダイムシフトが必要であった。
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