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9b865401
anonymous
2025-06-07 17:11
- >>96dc7b0c
> BTの存在はバラモン教やヒンドゥー教の真我を否定する。
BTであれ、リッジであれ、エンティティ(思考するリッジ)であれ、エレクトリック・エンティティであれ、テレパシー干渉(霊的障害)であれ、どれもマインドを通じたメカニックス(機械仕掛け)の一種であって、セイタンあるいはアートマン(真我)とは違います。セイタンあるいはアートマンは、質量・大きさ・位置属性・形態・波長を持たない非物質であり、マインド及び幽体(霊魂)とは別物です。
マインドコントロールはマインド(反応心)を通じて生じるため、マインドを持たないビーイングはマインドコントロールを受けません。故に『ヨーガ・スートラ』には、「ヨーガのゴールとはマインドの消滅である」と説かれており、これはシッダールタの教えがネタ元です。つまり、非我(アートマンでないもの)と真我(アートマン)の識別です。
※ヨーガ・スートラのこの節を、「ヨーガの目的は、マインドの“動き”を消し去ることだ」と訳す人もいますが、これだと「マインド(バンク)の質量=アテンション・ユニットをブローさせること」というニュアンスが消えてしまいます。
ヒンドゥー教でも、霊魂とアートマンを同一視する考え方(シッダールタは霊魂はアートマンでなく、生老病死と輪廻転
生は見せ掛け[マーヤー]であると教えました)が存在する一方で、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ、特に、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ移行のアドヴァイタ・ヴェーダーンタは、マインドである霊魂と真我であるアートマンをしっかり識別しており、アートマンの定義はサイエントロジーにおけるセイタンの定義(非物質・非MEST)とほぼ同じです。
なお、時空間(ゲーム)におけるタイム・トラック上のセイタンの分岐と統合は、各セイタン及びアートマンの独在性(カイヴァリャ)と単一性を否定するものではありません。ゲームにおけるセイタンの意識(アイデンティティ)の分割は、本質ではなく見せ掛けだからです。本質の「個性」としては、それぞれのセイタンが単一の個体なのです。「個性」は、『因子』における「視点」に当たります。この単一の視点から、無数の次元点が創造されるわけです。
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